あの時、SecondLifeを流行させたのは私

Giorno Brando

2009年05月19日 22:32


私がSecondLifeをはじめたのは、2006年12月17日。それはSecondLifeバブルと呼ばれるブームが起こる少し前、もしくはその前兆の頃。

その頃はまだ、「日本でそんなに流行る事はなさそうだ。本名でアカウント取ろう。」 それが "It's a SL" だと思っていた。なんというお人よしか。なんだか日本人が増えてきたので1週間後くらいに完全な別名でアバターを作り直す。なんという予想外か。

SLを始めた当初、カジノでボーっとしていたらオーナーらしき人から10L$をお恵み頂いた。
最初のマネーだった。こういう気配りをするオーナーにあこがれる。
そのうち初心者にお金を配りまくる人になろう。


しかし、時が経てば状況は変わる。カジノで当たる当たる。キャンプで儲かる儲かる。
普通に1000L$当選とか出るともうウッハり。マジメに稼いでるなんてザマぁねぇぜ!


ともあれ、バブルは起こった。バブルは弾けた。
カジノで遊んだが結局は日本円に換算して考えたら大した儲けでもない。
そして着物が流行ったのだ。
はたして、これは誰の責任なのだろう。


その責任は、あの時、バブル以前から和風を充実させていたSecondLife日本人ユーザーにある。
私もそう。あの時、SecondLifeを流行らせたのは私。


将来、SecondLifeという言葉は聞く機会がなくなるかもしれない。
ただ仮想空間の可能性は未開拓の宇宙空間の様に大きな存在であって
現在のSecondLifeがその開拓に重要な役割を果たしているのは間違いないと思う。



敬具